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松山地方裁判所 昭和33年(行)5号 判決

原告 真鍋ハル子

被告 愛媛県教育委員会

主文

被告が原告に対し昭和三三年三月三一日付でした西条市立玉津小学教教諭を免ずる処分は無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨、及び予備的申立として、被告が原告に対し昭和三三年三月三一日付でなした西条市立玉津小学校教諭の職を免ずる処分は、これを取消す、との判決を求め、その請求の原因として、

(一)  原告は、受媛県小学校教諭として勤続三〇年に及び、昭和二八年四月より西条市立玉津小学校に勤務していたが、昭和三三年三月三一日被告から、願により右職を免ずる旨の処分を受けた。

(二)  いうまでもなく原告は、地方公務員法にいわゆる地方公務員であるところ、地方公務員は、同法第二八条第二九条所定の場合を除き、その意に反して免職されない身分の保障を有するもので、このことは同法第二七条第二項に明定するところであり、また願による退職は、本人の自発的意思にもとずくことを必要とし、これを欠くにもかゝわらずこれがあるものとしてなされた免職処分は、同法第二七条に違反し、その違法は、重大且つ明白であるから無効であり、仮に無効でないとしても取消さるべきものと解すべきところ、被告が原告に対してした右免職処分は、左記理由により、原告の自発的意思にもとずかないものである。すなわち、

(1)  原告は、昭和三三年三月一一日より同月二五日までの間、数回に亘り、西条市教育委員会学校教育課長喜多川力、愛媛県教育委員会西条教育事務所(以下西条教育事務所という。)所長赤星明、及び同事務所管理主事井上巻太よりこもごも退職の勧奨をうけたのであるが、その際同人等は、原告が八四歳になる夫の父真鍋富吉、早発性痴呆症の夫真鍋荒太郎、盲目の次女真鍋照美を抱えて生活している関係上、通勤不可能な場所への転勤は、原告にとり退職以外に選ぶべき道のないことを熟知しながら、原告に対し、とげとげしく「家庭の事情は、一切聞入れられない。もし原告が勧奨に応じて、昭和三三年三月末日をもつて退職しないならば、同年四月以降西条教育事務所管内(西条市、新居浜市、新居郡、宇摩郡、伊予三島市、川之江市)では、勤務できなくなる。」旨強迫的勧奨を継続した結果、原告をして、右退職勧奨に応じないなら、通勤不可能な場所に転勤を命ぜられることは必至の情勢にある、と判断せざるをえない立場に追いやり、かくては家庭にある右三名の世話、看護不能のため、その生命が危険に頻する如何なる不幸な事態が発生するかも測りかねない、と考えた原告は、同年三月二五日意思の自由を完全に制圧された状態のもとに、「私一身上の都合により退職致したいので、御許可下さいますよう御願い致します。」と記載した同月三一日附被告宛の退職願書を作成し、右書面は翌二六日玉津小学校校長榊原茂利雄を介し、西条市教育委員会を経て、同日西条教育事務所に送付され、原告の右退職希望の意思表示は被告に到達した。しかし、原告の右意思表示は、前記三名の叙上のごとき強度の強迫にもとずくものであるから無効である。

(2)  仮りに右事実が認められないとしても、原告は、右退職願を提出した後、長女和美、次女照美に退職の翻意をうながされたのと、退職の家計に及ぼす影響の大きいのを考えて、退職願の撤回を決意し、口頭により、同年三月二六日には西条市教員組合書記長森行雄を介して前記喜多川力に対し、翌二七日には原告自ら同人に対し、また同日森行雄を介して前記赤星明に対し、それぞれ原告の右退職願の撤回方を申入れたのみならず、西条市教育委員会委員長加藤浅次郎に対しては、同月二八日午後〇時から同六時までの間に到達の書面をもつて、被告代表者委員長竹葉秀雄に対しては、翌二九日午前八時から同一二時までの間に到達の書面をもつて、それぞれ退職願の撤回方を申入れた。しかして、退職願は、行政行為確定のための行政慣習上の要式行為であるから、同年三月三一日附の原告の退職願は、同日にならなければ該意思表示の効力が発生しないのであり、それ以前ならば自由に右意思表示を撤回しうるのである。仮にしからずとしても、右撤回の申入当時被告は、また人事異動に関する行政手続未了の状態にあり、殊に退職発令の原議も作成しておらず、この段階における退職願の撤回は、自由になしうるものと解すべく、したがつて、原告の退職願は、その撤回により失効したものである。

(三)  しかるに、前記西条教育事務所長赤星明は、同年三月二八日に提出された西条市教育委員会の内申にもとずき、同日原告に対する退職発令の原議を作成し、翌三〇日県教育委員長大西忠の決裁を経て、同日開催された被告臨時委員会においてこれを承認し、被告は前記(一)記載の処分をしたのである。

(四)  そうだとすると、被告が原告に対してした右処分は、原告の意思に反するもので、地方公務員法第二七条第二項に違反し、しかもその違法は、重大かつ明白であるから、当然無効であり、且つ原告は、これが即時確定を求める利益を有し、仮に無効でないとしてもすくなくとも右処分は取消さるべきものである。

(五)  そこで、原告は、昭和三三年五月九日愛媛県人事委員会に対し、不利益処分審査の請求をしたところ、同委員会は、昭和三三年八月一日原告の右請求に対し、被告のした前記依願免職処分を承認する、旨の判定をした。

(六)  よつて、原告は、被告が原告に対してした右免職処分の無効確認を求め、仮に無効でないとしても、その取消を求めると述べ、被告主張事実中、原告が昭和三三年三月三一日付で被告発令の免職辞令を同年四月一日受領し、その主張の如く退職の挨拶をなし、記念品料及び給与差額金を受領したことは認めるが、右退職を前提とするかの如き原告の行為は、当時の状況上やむを得なかつたもので、退職に同意したものでなく、殊に退職に伴う給与差額金は、その趣旨を知らないまゝに受領したもので、その後同年七月二八日に至り、これを返還したと述べ、

その余の事実を否認した。(証拠省略)

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

(一)の事実は認める。

(二)の(1)の事実中、喜多川力外二名が原告に対し、その主張の頃、数回に亘り退職勧奨をしたこと、原告が八四歳になる父富吉、夫荒太郎、次女照美と同居していること、及び原告がその主張の日、主張のような退職願を作成し、主張の頃榊原茂利雄を介し、西条市教育委員会を経て西条教育事務所に提出したことは認めるが、強迫の事実は否認する。けだし、右喜多川力は、西条市教育委員会の立場から、また赤星明、井上巻太は、被告の出先機関の職員として、被告が決定した昭和三二年度末教員異動方針の一環である「人事刷新のため、高年令者その他適当と認める者の円満勇退を図る。」という趣旨に則り、西条市内における女子教諭中最高年令者であるうえ、健康的にも左眼は殆んど失明に近く、勤務成績も芳しくない原告(当時五二歳)に勇退を求めるのが適当と判断し、原告に対して退職勧奨をしたのであり、原告も右勧奨に応じ円満裡に退職を決意し、その旨記載した退職願を提出したのであるのみならず、後記(三)記載のような事実が存在する点からいつても、その間、何ら強迫・強要の事実は存在しないからである。

(二)の(2)の事実中、原告主張の日時頃、その主張の如き文書が被告代表者委員長、及び西条市教育委員会委員長宛送達されたことは認めるが、原告がその主張の日時頃、森行雄を介し、赤星明に対して退職願の撤回方を申入れたとの事実は否認する。その余の事実は知らない。

(三)の事実は認める。なお、被告が原告に対し、昭和三三年三月三一日附で発令した免職辞令は、同年四月一日西条市教育委員会を通じて、原告に交付された。

(四)の主張は争う。

(五)の事実は認める。

と述べ、さらに、

(一)  原告が被告宛に送達した「退職願取消の申入れ」と題する文書によれば、退職願は、原告の真意でないから取消されない旨記載されていたが、原告が本件退職願提出に至るまで、前記喜多川力外二名及び玉津小学校長と行つた退職の交渉経過に鑑みるとき、さきに提出された原告の退職願が原告の真意でないとは認められないのであり、右撤回の意思表示こそ、原告の真意にもとずかないものと解せざるを得ないから無効である。

(二)  仮に、右撤回の意思表示が原告の真意にもとずくものであるとしても、原告の退職願は、左の理由により、その自由なる撤回は許されないものである。すなわち、

(1)  原告は、被告に対し、昭和三三年三月三一日附の退職願を提出したのであるが、右退職願は、それが被告の出先機関である西条教育事務所に提出された同年三月二六日にその効力を生じたもので、退職願の日附を三月三一日としたのは、本件退職が昭和三二年度末教員大異動の一環として行われた関係上、三月三一日附の発令と形式的に符合させるため、従来の慣例(被告の指示した小中学校「人事給与事務取扱要領」による。)に従つたまでであつて、同日になるまでは退職願の意思表示は効力を発生しない趣旨のものではなく、又この主張を前提とし、同日まではこれを自由に撤回し得るとの原告の主張は理由がない。

(2)  およそ私人の行政庁を相手方とする公法上の行為は、行政庁が私人の行為に添う処分をした場合において、その私人において行政処分の効果を消滅せしめることのできる自由を留保している場合、(例えば営業の許可を受けてこれを廃止できる場合)を除いては、行為者はその行為による拘束によつて事後に至つてこれを自由に取消し又は撤回することはできないものと解せざるを得ない。けだし私法行為は、私的自治の原則が承認される結果としてその実質、形式についても原則として私人の自由に放任されており、自由な決定権を前提として法はその調整を自指しているが、私人の公法行為においては、それと異り私人の行政庁に対する行為であり、行為の明確、確実を期する必要からその実質、形式ともに画一化、定型化の傾向をもち、その効果も法の規定により一定化される要請をうけている。このように私人の公法上の行為が明確化、確実化を期することは一に公法関係における不安定又は不確実を避けんとすることに原因するものであつて、一旦なした公法上の行為は、処分の効果を消滅せしめ得る権能をその私人に留保していない限りは、自由に撤回し得ないものといわざるを得ないからである。

(3)  公務員の退職を希望する退職願は、行政庁のこれに対する免職の発令によつて、その地位を喪失するもので、この発令を求める意思表示は、退職の申込または免職処分に対する同意に外ならないものであり、民法第五二一条第一項の承諾の期間を定めてした契約の申込と、同視すべき性質のものであるから、右退職願には同条項が類推適用される結果、退職願に定められた期間内は、その撤回は許されないものであり、本件においても、被告に対し昭和三三年三月三一日附の退職願を提出した原告は、右三月三一日まで退職願を撤回できない拘束をうけているのであるから、これに反する原告の撤回の意思表示は無効である。

(4)  仮に右主張が認められないとしても、私人の行政庁を相手方とする公法行為は、その行為により公法上の秩序が或る程度形成された後には、最早その撤回は許されない。けだし、かゝる場合、その自由な撤回を許すとすると、その行為を前提として形成されて来た一切の公法上の秩序を破壊し、これを無意義に終らせる危険を招来するからで、撤回が許されるか否かは、撤回による利益と、公法上の秩序の破壊との比較衡量により決せられるべきである。

これを本件についてみるに、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」により、教職員の任命権は、県教育委員会に属し、服務の監督権及び人事の内申権は、市町村教育委員会に属することとなり、この特殊な立法措置により、人事行政は、想像以上に複雑な手続を踏まなければならない。すなわち、被告側では、原告の退職願が提出されてから、その補充のため、新居浜市高津小学校勤務の松本只行をその後任に補すべく、同市教育委員会と事前協議を遂げ、転入側の西条市教育委員会と転出側の新居浜市教育委員会は、それぞれ委員会を開いてその旨の決定をし、更にこれら委員会の内申を得て、西条教育事務所は人事異動の原案を作成したのであり、しかもこの異動原案は、右松本只行の後任、更にその後任といつて風に、一人一人の完全な組み合せにより積上げられたものであるから、その組合せの一分子である原告に支障を来たすと、三千数百人に上る県全体の人事異動に支障を来たすこととなり、延いては、新年度の授業開始準備が全然不可能となることも予想しうるところであり、原告が被告に対し、退職願撤回の申入をした際には、被告において、既に昭和三二年度末の定期大異動に関する手続一切を終了していたのであり、今更人事異動計画を変更することは不可能に近く、かゝる段階における撤回は許されないものである。

従つて、いずれにしても、被告が原告の退職願に基き、原告に対してした前記免職処分は適法である。

(三)  仮に、以上の主張が理由がないとしても、原告は、被告が原告に対し昭和三三年三月三一日発令した依願免職辞令を、翌四月一日異議をとどめず受領し、その後、同僚、児童及びP・T・A役員等に対し、退職の挨拶をしたのみならず、同僚、P・T・A共催の送別会に出席し、P・T・Aからの退職の記念品料を受領し、更に同年四月二七日には退職者に対する特別条例解除に伴う昇給差額金六、三〇六円を、同年六月一四日には退職者に対する特別昇給による一日分の差額金一八九円を、それぞれ受領しているのであるから、原告は退職希望の意思で右辞令を受取つたものというのほかなく、したがつて、被告が原告に対してした本件免職処分は、結局原告の意思に反しなかつたもので、適法というべきである。

以上いずれの理由からいつても、原告の本訴各請求は失当である、と述べた。(証拠省略)

理由

原告は、愛媛県小学校教諭として勤続三〇年に及び、昭和二八年四月以降西条市立玉津小学校に勤務していたところ、昭和三三年三月一一日より同月二五日までの間、数回に亘り、西条市教育委員会学校教育課長喜多川力、西条教育事務所長赤星明及び同事務所管理主事井上巻太よりそれぞれ退職勧奨をうけたこと、その結果、原告は、右同月二五日に至り、「私一身上の都合により退職致したいので、御許可下さいますよう御願い致します。」と記載した同月三一日附被告宛の退職願書を作成し、玉津小学校校長榊原茂利雄にその提出方を依頼したこと、右退職願は、翌二六日右榊原茂利雄により西条市教育委員会を通じて、被告の出先機関である西条教育事務所に提出されたこと、原告から、西条市教育委員会委員長加藤浅次郎に対しては、同月二八日午後〇時から同六時までの間に到達の書面をもつて、被告代表者委員長竹葉秀雄に対しては、翌二九日午前八時から同一二時までの間に到達の書面をもつて、それぞれ退職願の撤回方の申入があつたこと、西条教育事務所は、右二九日西条市教育委員会委員長提出の内申にもとずき、原告の免職発令の原議を作成し、翌三〇日県教育長大西忠の決裁を経て、同日臨時に開催された被告委員会にその旨報告され、被告は、これを承認して三月三一日に原告に対し、「願によりその職を免ずる。」旨の免職発令をなし、翌四月一日西条市教育委員会を通じて、原告に右辞令を交付したこと、原告は、被告が原告に対してした右免職処分につき、昭和三三年五月九日愛媛県人事委員会に対し、不利益処分審査の諸求をしたところ、同委員会は、同年八月一日原告の右請求に対し、「被告のした右依願免職処分を承認する。」旨の判定をしたことは、当事者間に争がない。

(一)  しかして、原告は、その提出にかゝる右退職願は、強迫による無効の意思表示である旨主張し、被告はこれを争うので、まずこの点につき判断する。

私人の意思表示たる公法行為にあつても、強迫によりその意思を欠く場合には、当然無効と解すべきところ、成立に争なき甲第三号証及び同第一二号証の各一部、同第五ないし第七号証、乙第一証の一、二に、証人喜多川力の証言の一部、同赤星明、同井上巻太、同榊原茂利雄の各証言及び原告本人尋問の結果の一部、並びに当事者間に争のない喜多川力外二名が原告に対し、その主張の頃数回に亘り退職勧奨をし、原告が八四歳になる父富吉、夫荒太郎、次女照美と同居していること、及び原告がその主張の日主張のような退職願を作成した事実を綜合すると、前記喜多川力は、西条市教育委員会の立場から、また赤星明、井上巻太は、被告の出先機関である西条市教育事務所の職員として、被告が決定した昭和三二年度末教員異動方針に則り、西条市内小学校における女子教諭のうち、最高年令者であるうえ、健康的にも左眼は殆んど失明に近い原告(当時五二歳)に、勇退を求めるのが適当と判断し、昭和三三年三月一一日頃右喜多川力、井上巻太がそれぞれ個別的に、同月一九日頃右喜多川と赤星明が共同して、同月二三日頃にも前両名が、いずれも面接して、更に同月二五日には喜多川が電話を通じて、原告に対し退職勧奨をしたこと、当時原告は、家庭に八四歳になる夫の父富吉、早発性痴呆症の夫荒太郎、殆んど両眼とも失明に近い次女照美を抱えて、一家の生計を維持していたこと、前記勧奨者等もこの事情を知悉していたこと、勧奨にあたり、右勧奨者は、原告に対し、後進に道を開くことを強調し、殊に喜多川は、もし原告が勧奨に応じないときは、同年四月以隆通勤不可能な西条教育事務所管外(同管内は、西条市、新居浜市、新居郡、宇摩郡、伊予三島市、川之江市。)に転勤せざるを得なくなる旨言明しており、その他病気勇退とか、退職すれば四号俸昇給させる等の優遇措置につき話があつたこと、これに対し原告は、自己の退職が家計に及ぼす影響を考慮して、右勧奨をできるだけ拒否し続けたが、唯病気退職の場合、退職手当が高額であるところから、病気退職になるなら退職しても良いと考え、眼科医の診断を求めたが、病気退職に該当する程の眼疾ではなかつたこと、しかしながら、右喜多川が前記二五日に、電話を通じて原告に対し最後の退職勧奨をした際、原告が勧奨に応じない場合には他校に転勤させられることの必至であることが明らかとなるや、原告は、目が悪いうえに、年令的にも今更転勤するのは困ると考え、右三月二五日に心進まぬながら退職を決意し、右榊原校長が同校事務員をして作成させた退職願の自己名下に押印し、右校長に退職願の提出方を依頼して帰宅したこと、その夜、次女照美に原告が退職しなければならなくなつた旨打明けたところ、同女より「お母さんに今退職されては困る。」と泣きつかれ、自己の置かれている現在の立場を再認識し、よし他校に転勤させられても現職に留まらねばならぬと考え、退職願の撤回を決意した事実を認めることができ、右認定に反する甲第一号証の一の記載、同第三号証、同第一二号証の各供述記載部分並びに証人喜多川力の証言の一部及び原告本人尋問の結果は措信せず、他に右認定を覆すに足る証拠は存在しない。

右の事実によれば、原告がその主張のように勧奨者の強迫により、全く意思の自由を奪われた状態のもとに、退職の意思表示をなしたものとは考えられず、原告の右主張は採用できない。

(二)  次に、原告は、前示の如く、原告の提出にかゝる退職願が昭和三三年三月三一日付となつているから、右期日が到来しなければ、退職願としての意思表示は、その効力を発生しないと主張し、被告は、右は従来の慣例にしたがつたまでである旨抗争するから、この点につき考えるに、成立に争のない乙第六号証によるも、退職願の日付をいかなる日にすべきかとの点を定めるべき取扱基準は認められず、証人榊原茂利雄、同大西忠の各証言及び原告本人の供述を綜合すると、原告に対する免職の処分は、昭和三三年三月三一日になされることが予想され、それ以前の発令ということは、予想していなかつたので、退職願についてもその日付を記載したことが認められる。そうすると、他に反証なきかざり、この退職願によつては、原告の不利益になるべきこの日付以前の免職発令はできない趣旨のものであるのみならず、それは同意書の日付であるから、退職願として免職に対する同意たる効力は、その日付のときに生ずる趣旨と解するを相当とする。

(三)  被告は、原告のなした文書による退職願の撤回が、原告の真意にもとずかないものと認められるから無効であると抗争するので、この点につき考えるに、成立に争のない甲第一号証の一、同第三号証、同第六号証、同第九号証、同第一一、一二号証、同第一九号証、乙第二号証の一、二、並びに証人喜多川力、同森行雄、同榊原茂利雄の各証言及び原告本人の供述を綜合すると、原告は、前認定の如く、三月二五日夜、退職願の撤回を決意し、翌二六日西条市教員組合書記長森行雄をはじめ、組同関係者の協力を得て、口頭により、同日右森行雄を介して前記喜多川に対し、翌二七日には自ら同人に対し、また同日森行雄を介して前記赤星明に対し、それぞれ退職願の撤回を申入れたのみならず、原告は、単独で右二七日前記榊原玉津小学校長宅に赴き、同人に退職願の撤回方の尽力を要請していること、更に原告は、翌二八日愛媛県教育委員会委員長竹葉秀雄宛の退職願取消の申入と題する自己名義の文書に押印して発送した事実を認めることができ、右認定に反する甲第五号証の供述記載部分、及び証人赤星明の証言部分は、証人森行雄の証言に照して措信せず、他に右認定を覆すに足る証拠は存在しない。なお、被告は、原告が免職辞令を異議を留めないで受領していることなどを目して、右退職願撤回の意思表示が原告の真意にもとずかないことの証左であると主張し、右事実が当事者間に争のないこと後記のとおりであるが、しかし、ただ、右のような事実が存するからといつて、直ちに原告の退職願撤回の真意にもとずかないものであるとなしえないこと後に判示するとおりである。そうだとすれば、右認定の各事実と、前認定の原告が退職願の撤回を決意するに至つた経緯、及び原告本人の供述を綜合すると、被告に対する前記退職願撤回の申入は、原告の真意によるものというべきである。

(四)  ところで被告は、退職願の撤回は、私人が行政処分の効果を消滅せしめる自由を留保している場合でないから許されないと主張するけれども、被告の主張するような事項を定めた法規は存しないのみならず、退職すなわち本人の意思にもとずく免職について地方公務員法にその規定なく、同法第五条による条例においても定めるところがない。しかし、がんらい地方公務員が任用せられるのは、法の規定による義務にもとずくものでなく、本人の志願によるのであるから、その意思によりこれを辞しうべきことは当然とすべく、地方公務員法第二七条第二項の文言によるも、かゝる処分のなしうべきことはうがかいうるのであるが、右免職処分が本人の意思にもとずいてなさるべしとする以上、一旦退職願が提出された場合においても、免職処分がなされるまでにこれが撤回された場合には、その処分をなしえないものとすべきこと本人の意思によるとする趣旨より当然というべく、もしこれが撤回を許されないものとすれば、実質において本人の意思に反する免職処分となるから、処分がなされるまではこれを撤回しうるものと解しなければならない。

(五)  被告は、民法第五二一条第一項がこの場合に類推適用されると主張するのであるが、民法の右条項は、承諾の期間を定めた契約の申込を受けた者は、所定の期間内に調査その他の準備をするのが普通であつて、申込者が任意にその撤回ができるものとすると、相手方に不測の損害を蒙らせる虞れがあることを理由とするものであり、公務員の免職処分は、それが国家公務員であると地方公務員であるとを問わず、退職者の同意を要件とする任免権者の一方的行政行為であり、退職願は、右の同意をたしかめるための一手続に過ぎない、と解すべきであるから、公務員の退職願と期間の定めある私法上の契約の申込とは、これを同視できないのみならず、本件の退職願は、退職についての同意としても、昭和三三年三月三一日にその効力を生ずる趣旨のものと解すべきこと、前説明のとおりであるから、同意としての効力を生じていない以前に右意思表示を撤回することは、全く原告の自由であるというべきであつて、被告の抗弁は理由がない。

(六)  次に、被告は、私人の行政庁を相手方とする公法行為は、この行為により公法上の秩序がある程度形成されたあかつきには、もはやその撤回は許されないと主張するが、およそ私人の右行為は、これにもとずきすでに行政処分が行われた後は、自由に撤回できないこともとよりであるが、行政処分が行われるまでは、自由にその撤回が許されるものと解すべきことは、右行政行為が私人の意思にもとずいてなさるべしとする趣旨より当然というべきである。

被告は、右退職願の撤回を許すにおいては本件の場合、重大なる行政事務の支障が起るというが、証人喜多川力、同赤星明及び同井上巻太の各証言を綜合すると、原告の免職処分は、昭和三二年度末の愛媛県下の教職員の大異動に関連して行われたものであり、原告から昭和三三年三月二六日退職願が提出されるや、直ちに西条教育事務所においては、同事務所に勤務する愛媛県教育委員会管理主事井上巻太をして、原告が退職することを前提として、原告の後任として新居浜市から松本只行を玉津小学校へ転任させるべく、新居浜市教育委員会に交渉してその諒解を得せしめ、これにもとずき、西条教育事務所管内の教職員異動原案を作成すべく準備したことが認められ、右は行政庁部内の準備行為に過ぎないとはいえ、原告の退職願の撤回を許すことにより、事務的に多少の混乱が生ずることは予想に難くないところであるが、すべての証拠によつても、そのために右年度末の三千数百人に上る県下全体の教職員の人事異動に支障を来し、新年度の授業開始が不可能になるような事態の生ずる虞れあることは認められないのみならず、殊に原告は、地方公務員であるから、地方公務員法第二七条第二項により同法第二八条、第二九条に規定する事由の存する場合を除き、その意に反して免職されない保障を有するのであり、この点や憲法第二二条第一項の法意によるも、退職願の撤回の自由を制限するには法律の根拠を必要とすること明白であり、かゝる法律にもとずく制限は存しないから、この点にかんする被告の抗弁も理由がない。

そして、原告の退職願撤回の意思表示が被告に到達したのは、昭和三三年三月二九日であることは前示のとおりであり、当時被告が原告に対し、いまだ免職発令をしていなかつたことは、当事者間に争のないところであるから、原告の退職願は、有効に撤回されたものというべきである。

(七)  被告は、原告が本件免職辞令を昭和三三年四月一日異議を留めず受領し、その後、同僚、児童及びP・T・A役員等に対し、退職の挨拶をしたのみならず、同僚、P・T・A共催の送別会に出席し、P・T・Aからの退職記念品料を受領し、更に退職に伴う昇給差額金等を受領している事実をもつて、結局原告は、退職希望の意思で右辞令を受取つたものであり、被告が原告に対してした本件免職処分は、原告の意思に反しなかつたものと主張し、かゝる事実のあつたことは、当事者間に争のないところであるが、前認定の如き原告の退職願の提出及びその撤回の経緯並びに原告本人の供述によると、原告は、形式的にもせよ一応被告の免職辞令が発令され、原告のためにそれにもとずく種々の行事がなされるのに抗し切れず、それに従つたにすぎないことが認められ、右認定に反する証人榊原茂利雄の証言部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はないから、被告の右主張も理由がない。

そうすると、被告が原告に対してした本件免職処分は、前提要件を欠き、その瑕疵は重大かつ明白であるから無効というべきである。しかして被告は、原告に対する右免職処分が有効である旨抗争するのであるから、原告は即時右処分の無効確認を求める利益があること勿論である。

従つて、原告の本訴請求は、原告その余の主張につき判断するまでもなく理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 沢栄三 木原繁季 石田真)

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